名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1973号 判決 1951年3月23日
控訴人 原審検事 内田実
被告人 山下秀一 外二名 弁護人 桜井紀 外一名
検察官 武内孝之関与
主文
本件控訴は孰れも之を棄却する。
理由
津地方検察庁検察官検事内田実の控訴の趣意は、末尾添附の同検事名義の控訴趣意書と題する書面(但被告人三名に関する部分)記載の通りであり、又右被告人三名の弁護人桜井紀、同西村美樹両名の控訴の趣意竝右検事の控訴の趣意に対する答弁は、末尾添附の右弁護人両名名義の控訴趣意書と題する書面(但被告人三名に関する部分)記載の通りであるが、是等に対し当裁判所は次のように判断する。
右弁護人両名の控訴趣意に付いて、
千九百四十五年九月十日附連合国最高司令官の日本政府に対する覚書「言論及新聞の自由に関する件」第三項に所謂「連合国に対する破壊的な批判」とは、虚偽の事実に基くと否とを問わず、連合国全体又は其の構成員たる一部の国に対する名誉、信用を毀損し、又は其の政策、行動に妨害支障を与えるが如き可能性ある言動を為すことを指称するものと解すべく、従て連合国であるものに対し、右のような破壊的な批判をすれば、之が占領目的に有害な行為をしたものとして、昭和二十一年六月十二日勅令第三百十一号第二条に違反し、同第四条の処罰を免れ得ないものと謂わなければならない。ところで所論ビラに掲記されて居たスローガンは原判決認定の如くであつて、之によれば、同スローガンの内容は孰れも連合国の一員である米国の日本占領軍が、千九百五十年六月二十五日及同月二十七日附国連安全保障理事会の決議に基き、国連軍の中心となり、北鮮軍に対して行つて居る軍事行動を、朝鮮に対する不法な武力干渉又は武力侵略であるとして非難攻撃する趣旨のものであると認められるから、斯の如き内容のスローガンが掲記されて居る所論ビラを、其の内容を知悉し乍ら貼付掲示することは、連合国の一員たる米国に対する名誉、信用を毀損し、又は其の行動に妨害支障を与える可能性を有するものであり、将しく前掲覚書に所謂「連合国に対する破壊的な批判」に該当するものと謂うべく、而して被告人山下秀一が右ビラの内容を知悉して、同ビラを貼付掲示したものであることは、原判決が其の挙示する証拠によつて認定して居る通りであり、又被告人洪禹[王玄]同金桂一の両名が夫々右ビラの内容を知悉して居たことは、原判決が同被告人両名に対する原判示第三事実を認定するに際り挙示する証拠によつて認められる同被告人両名の行動に照し認定し得べく、原判決が論旨摘録のように、「被告人金桂一は右洪禹[王玄]又は他の者から右ビラの内容を当然聞知していたものと認めなければならない」旨説示して居るのも、右と同趣旨に出でたものであることが、其の説示自体に徴し明らかであつて、此の点に関し原判決に所論のような違法はなく、然らば右ビラの内容を知悉して居た被告人等が、夫々原判決認定の如く右ビラを貼付掲示した以上、縦令之に付訴追されることを予測しなかつたとするも、前記勅令第三百十一号第四条の罪責を免れるに由なく殊に米国は連合国の中でも日本占領軍の中心を為す国であり、其の北鮮軍に対する軍事行動は、在日米占領軍と極めて密接な関係にあり、日本に対する占領目的と不離の関連性を有するものであるから、斯の如き米国の軍事行動を非難攻撃することは、原判決が説示するように、明らかに占領目的に有害と謂わなければならない従て原判決が被告人等に対し夫々原判示事実を認定の上、之を原判決説示の各法条に問擬したのは洵に正当であつて原判決には所論のような違法の廉が毫もなく、畢竟所論は独自の見解に依拠して、原判決の正当な措置を非難するに過ぎないから、論旨は其の理由がない。
右検事の控訴の趣意に付いて、
本件訴訟記録竝原裁判所に於て取り調べた証拠を精査し、之に現われて居る被告人等の本件犯罪の動機、犯罪の態様、犯行前後其の他諸般の情状を参酌考量するも、原判決の被告人等に対する量刑措置を不当と認め得ないので、論旨は理由がない。
右説明のように本件控訴は孰れも其の理由がないので、刑事訴訟法第三百九十六条に則つて、主文のように判決する。
(裁判長判事 深井正男 判事 河野重貞 判事 上田孝造)
検事の控訴趣意
原判決が各被告人に対し罰金壱万円を以て処断したのは、その量刑著しく軽きに過ぎ失当である。
(一) 抑々ポツダム宣言を受諾し降伏条約に調印した我が国民にとつて占領政策に忠実に協力し、占領目的の遂行を容易ならしめ以て一度失墜した国際的信用を恢復すべきことは、実に吾人の民族的義務であると共に、又国際社会えの平和的復帰を促進する唯一の道である。従つて占領下の今日、苟も占領目的を阻害する行為については、我国民自らの責任に於て迅速果断の鎮圧措置が要請されるところであつて、昭和二十一年勅令第三一一号の立法趣旨も亦実にここに存し、その違反については徹底的な処断がなされねばならないのである。而してその処罰量刑についても、我が国今日の国際的地位を考量し一般国内法犯に対するとは異り客観的、大乗的な見地がら一罰百戒の厳罰主義を以て臨むべきことは当然の理である。
若し然らずしてこの種事犯に対し漫然之を軽視し、軽き量刑を以て臨むときは、忽ち信を世界に失い、列国の猜疑と不信を招来し、祖国再建の機会は永久に奪われること必然である。
既にこの種事犯の量刑につき消極的、退嬰的措置の許されざること右の如く況やその罪質並に個人的情状につき何等酌量の余地のない本件については量刑上深甚の考慮が払わるべきであると信ずる。
(二) 本件公訴事実は、被告人等四名が何れも三重県下に於て、「在日朝鮮民主民族戦線結成三重県準備委員会」名義の「第二次祖国統一戦線斗争月間」と題し
一、朝鮮問題は朝鮮人自身に任せ
一、内乱を助長するあらゆる他国の干渉絶体反対
一、朝鮮の兄弟を殺傷する武器を作るな送るな
等のスローガンを記載したビラを頒布し、以て連合国に対する破壊的批判をなし占領目的に有害な行為をなしたことである。而して原審は検察官の主張を証拠により全面的に肯認被告人等の所為が一九四五年九月十日附連合国最高司令官の日本政府に対する覚書「言論及新聞の自由に関する件」第三項に所謂「連合国に対する破壊的な批判論議」に該当するものとして、何れも昭和二十一年勅令第三百十一号違反の罪責を認めた。ところで被告人等の頒布したビラの内容を考察するに、それが特定の主義主張に基く一方的な見解の下に、徒らに今次朝鮮事変の真相を歪曲し、一方的宣伝の見地に立つて共産軍の不法侵略を美化糊装せんとするものであつて世界の輿論を背景とし、国連軍を中心として自由と人道の確保のために立上つた米軍の行動を非難攻撃し、之を制肘阻害せんとするものであることは明かである。
特に本件ビラ中の一スローガンたる
一、祖国の統一と独立の勇士バルチザンを援護せよ。
一、祖国統一のための国家総動員令に総蹶起せよ。
の如きは占領下の我国に於て、公然反占領軍組織の結成をせんとするかの如き企図を露呈しているものであつて、かゝるビラの作成頒布を軽視することは治安上絶対に許されざるところである。
(三) 飜つて各被告人の個人的情状を考察するに遺憾乍ら国家の秩序と権威に対する挑戦的態度のみ露骨であつて酌量に値する情状は何等見受けることができないのである。
右の事実は本件訴訟記録編綴の
一、検察官に対する被告人山下の供述調書
一、司法警察員に対する被告人金孝燮の供述調書
一、検察官に対する被告人洪禹[王玄]の供述調書
一、検察官に対する被告人金桂一の供述調書
一、被告人洪禹[王玄]金桂一に関する公判調書
の各記載に徴し明らかである。
而してこのことは被告人等が本件ビラの有する反法性を充分に認識し乍ら特定の主義主張に立つて国家の秩序と権威に挑戦的侮辱を加え、更に進んで占領下の法秩序を嘲弄し蹂躪しようとするものであることを如実に示しているものであつて、かゝる偏見的言動を敢てするものこそ我が国再生の途上に最大の危険を誘致するものであると言はねばならない。
(四) 既に被告人の個人的情状にして右の如くそこに量刑を軽からしめるべき何等の合理的事由も存しないのに不拘原判決が検察官の求刑、懲役各八月に対し何等の理由をも明示することなく罰金刑を選択して各罰金壱万円に処したのは全く本件反法行為に対する評価を誤まり占領下勅令第三百十一号の重大性を没却したものであつて、その量刑著しく軽きにすぎ失当であること明かである。
仍て須らく原判決を破棄し原審検察官求刑通りの判決相成るべきものと信じ控訴を申立てた次第である。
弁護人桜井紀、同西村美樹控訴趣意
一、原判決は被告等の貼つたビラが謂ゆる「破壊的批判」に当るとして有罪の判決をした。
1、然し原判決の指摘する「朝鮮問題は朝鮮人自身に任せ」、「内乱を助長するあらゆる他国の干渉絶対反対」「朝鮮の兄弟を殺傷する武器を作るな送るな」、という文句が何故に「批判」であり、更には「破壊的」であるのか言うまでもなくこのビラは米国で撒かれたものでも占領軍兵士に撒かれたものでもない。戦争を放棄し朝鮮からその帝国主義的侵略の手を引いてしまつた日本人並に在日朝鮮人に対して呼びかけたものである。更に米国の朝鮮に於ける行動乃至は国連の行動えの協力の問題は未だに国内で論議の的になつて居り、ハツキリ「国連協力」反対を議決した有力な労働組合さえあることは周知の通りである。一たい日本の人民乃至は在日の朝鮮人民に対し「朝鮮を朝鮮人に任せ」、「干渉反対」、「日本内地に於ける武器の製造輸送反対」を呼びかけることが何故に連合国に対する批判になるのか。而も「破壊的」な批判になるのか。それが「批判」という通常の語葉に照して何等の批判に当らぬことは明かではないか。
この三ツの文句の意味するところを概括すれば「日本は朝鮮に於ける外国の武力行使に協力すべきでない」ということに存する。謂ゆる「国連協力」反対と何の異るところもないのである。
日本は米軍の占領下にあるが、それはポツダム宣言の枠内で占領されているに過ぎぬ。まだ米国の属国になつた訳でも、「国連協力」の命令乃至指令が占領軍から出ている訳でもない。武器の製造、輸送は事実上の圧力がどんなであろうとも、商取引の域内にある。何者のあわて者か、アメリカが朝鮮に出兵するのに一言でも之に順応しないようなことがあつては大変だという多年天皇制下に養成された土下座根性をむき出しにするのは、吾々にはまだ朝鮮問題に於て自由が残されているのである。本件のビラはこの自由の範囲に属するものである。
2、或は「朝鮮人自身に任せ」、「他国の干渉反対」は米国の出兵に対し否定的意味を持つと言えるかも知れんが第一に単なる否定は「批判」ではない。「批判」の結果たる結論である場合もあるが、感情的な不賛同の意思の発表である場合もある。第二に本件のビラは抽象的な論議を目的とするものではなく、日本人民並に在日朝鮮人民の生活行動に対して呼びかけた勧告である。従つてその主目標はこれらの人民の朝鮮事件介入勧止にあつて米国批判にあるのではない。
第三に、仮に米国の出兵に対する抽象的批判であるとしても、どこが「破壊的」批判であるのか。この「破壊的」という語は訳語だから法律的用語としては甚だ不明確であるが、「朝鮮問題は朝鮮人にきめさせるべきだ」「外国が手を出すことは却て内乱をはげしくするから干渉すべきでない」、結局「米国の出兵には賛成出来ない」と言うだけの事がどうして「破壊的」と言えるか、占領下の日本にはこれだけの言論の自由もないのか、決してそうではない。
覚書には「虚偽又は破壊的批判」と書いてある。一切の批判を抑圧している訳ではない。その虚偽と並べているところから見ても、或は虚偽に近い或は甚だしく誹謗的な批判を問題にしたものに過ぎない。朝鮮人自身に任すべきだということ、内乱を助長するからという理由、これがどうしてテヒドイ又は悪罵的な批判の文句だと言えるだろうか。
物をまじめに考える者、人間それ自身に誠実な人ならば、土下座的戦々兢々のみが能くするこんな解釈は為し得ないであろう。朝鮮人にとつては問題は実に深刻なのである。朝鮮に於けるあの流血とあの荒廃とは朝鮮人にとつて生皮を剥かれるような痛苦なのである。「朝鮮人に任せる」がよかつたか、「国連出兵」がよかつたかは、やがて人間の良心が敢て長い歴史の審判を待たずして解答するであろう。
3、原判決にその論証の一部に於て「日本占領軍が云々北鮮軍に対し起している軍事行動を朝鮮に対する武力干渉又は武力侵略と誹謗する」のは破壊的批判であると書いているが「干渉」又は「侵略」の語がどうして誹謗であり破壊的であるのか。
「干渉」とは言うまでもなく干与又は容喙の意味であり自己以外の事柄に関係することを言表すに過ぎない。不当な干渉、正当な干渉、共に干渉であつて、干渉の語義そのものに何の誹謗の意をも包含しはしない。電波の相互作用も干渉と名づけられ「南鮮援助」も干渉は干渉である。
「侵略」亦然りであつて、例えば近代兵学の祖クラウゼヴイツ以来他国領土えの進撃は、それが攻撃的であろうと防禦的であろうとすべて「侵略」と呼ばれている。日独の帝国主義的侵略も侵略であり、連合軍の独乙領土進撃も均しく侵略である。何となれば攻撃を含まぬ防禦はないのであるから、防禦者が勝利を確保するためには挑戦者の国土の侵略を必然ならしめる。「侵略」は一定の事実を指示する概念であつて悪口若しくは罵詈ではない。
最近ある種の軍事行動に対し「侵略」という表現で特殊の意味を持たせる用例が出て来たけれども、その定義は国際的にまた国際法的に確定していない。曽ての国際連盟で多数国の支持を得た定義によれば、朝鮮に於ける米国の行動は侵略であるとソ同盟代表によつて論証された。仮にこの意味に於て「侵略」が使われたとしても、一の事実に対する見方の相異であり、それが非難の意を含むとしても「破壊的」と言うことは出来ないばかりでなく、ビラにはどこにも「侵略」の字は使われていない。原判決はこの点に於て証拠に基かずに被告を非難しているのである。
また原判決は「北鮮軍に対する国連軍の軍事行動は云々日本占領目的と密接な関連性を有する」と言うのである、がこれも実におかしい。日本の占領目的はポ宣言が限定している。朝鮮問題の処理は日本占領目的の埒外にある。一ツの軍隊が二ツの役割を果すとしても、そたは同じ主体で同時に二役を遂行する主体自身内部的関連であつて、ポ宣言の規定する旧来の任務と新たな任務とは別個の任務であり、任務自体に何等の関連若しくは相互交流を将来すべきでない。また将来されてはたまらないのである。
かゝる密接関連論者こそが謂ゆる「国連協力」論者であつて僅に残された自由の立場を自ら放棄するものであり、物ごとを根本から考えることをしないで権威に阿附するものである。
総じて「干渉」又は「侵略」の字句が破壊的批判に当るというが如きは、往時の不敬罪が市井の片言隻語を取上げたように、恰も尾崎咢堂の「売家と今様で書く三代目」の字句が不敬の訴追を受けたように、御主君大事の封建心理の作用と言うべきではないだろうか。
裁判的批判には常に毅然たる独自的権威の保持が要求される。
二、被告等は誰もがかゝる訴追の問題を引起すことを予測していなかつた仮定的に言えば犯意が無かつたのである。
例えば金孝燮に付て検事の提出した諸証によれば同被告は佐々木その他の巡査の目前でビラを貼り、また巡査今井篤二の陳述によれば、警察の前にビラを貼つて右ビラ携帯のまゝ警察を訪れて二時間許も雑談している。
又同じビラで逮捕された二人の朝鮮人は貼る前に名張警察の意向を聞いてから貼つたという理由で起訴を受けなかつた事例さえある。これは記録上の証明はないが、間違つて居れば否定して呉れという弁護人の要求に対し検察官は否定しなかつた又被告金桂一は字が読めない。原判決は共同被告の「洪禹[王玄]又は他の者からビラの内容を当然聞知していたものと認める」と暴断をやつているが、こんな証拠によらぬ想像乃至は推定は裁判に於て許されざること勿論である。
故に無罪の判決を求める。
検事の控訴理由に対して。
一、検事の厳罰論の主要な前提は低俗な新聞論説そのまゝである。謂うところの「占領政策協力」「国際信用回復」はポ宣言の要請する日本の民主化以外にないのである。民主化の基本的な要素は広汎な政治的自由、言論の自由にある。言論の自由こそが本則であつて、その拘束こそが厳に余儀ない除外例として取扱われねばならぬ。
「吾人の民族的義務」は専制的軍国主義によつて戦争の惨苦につき落され、官僚的暴圧支配にさいなまれた人民の解放と、その為めに陷入つている現在の隷属から民族的独立を勝とることにこそある。道は人民抑圧の方向にあるのではなく、官僚的抑圧排除の方向にこそあるのである。
天皇制の官僚であつた検事はよく同様の口調の厳罰論をやつた。この種の官僚的な見地、占領目的を口にしながらその内容についての基本的省察を欠く録音器的行方こそが新しい日本えの前進でなく旧日本えの復帰なのである。
二、検事はビラの内容が「朝鮮事変の真相を歪曲し共産軍の不法侵略を美化せんとするもの」と言うが、ビラにはどこにもそんなことは書いてない。寧ろこの検事の用語こそ一方的な立場に立つて物を見ている証拠である。検事を含む殆どすべての日本人は今一方的な報道と見方の井戸の中に居るのであるが、丁度降伏までの日本人と同じであつて、敗戦によつてはじめて真実の眼界が開けたのである。然しカーテンは再び白いか黒いか知らんが吾々の目を一面的にさえぎり始めた。
「共産軍」であるか、「人民軍」であるか、「不法侵略」であるか、「独立と統一との内戦」であるか、議論は世界的に二分されている。検事の言う「世界的の輿論」は一方的世界陣営の「主張」であつて、人類人口の他の半分と人民的多数の分子は他の側にある。
現在日本人民多数の自然的希望は二ツの陣営の外に立つ中立的立場であつて、これは戦争の圏外に立つことを欲するからである。検事の如く一方的立場に立ち、その陣営のために進んで隷属的犬馬の労を取らんとする態度は即ち戦争参加の道であり、再びこの国土に爆弾の雨を乞わんとする方途である。
三、検事はかゝる見地から判決の認定しないビラ中の文句を引いて被告を非難しているが、その言動が法規に触れない限り日本人若しくは特に朝鮮人がどちらの側に立とうと自由ではないか。米国自身の内部でさえその朝鮮出兵を非難してもくゝられはしないのである。
四、検事は「国家の秩序と権威に対する挑戦的態度」を云々するが、それは検察官僚に対して旧来のシキタリの如く、ヘイヘイ言わなかつた為めの感じではないだろうか。被告の中には残された自由に対する検事の如き抑圧が何を意味するか。結局は戦争と傭兵とに通ずる道であることを感じて検挙に対する反感を露骨に示したものがあるかも知れない。けれどもこれは検事との眼界の相異に帰するのである。
本件の問題は政治的自由を本則とするか、自由の剥奪を本則とするかにある。検事のように求めて片棒をかつぐ為めに抑圧の巾を拡大することが日本並に日本人の幸福かどうか多言を要しないであろう。